北海道の鉄道遺構訪問

※このページは一般の方にはマニアックすぎるため注意してください


北海道まで、海峡を除く陸路をン千kmを走って車で往復。
2015.-7.17〜24 の概ね一週間行程で行きました。


全行程が車中泊、風呂に入れる所で休めるように移動しました。
行きは台風との競争で、北海道直撃ではありませんが、
フェリーが欠航すると、そもそも海を渡れなくなるので、
途中の仮眠を除いては東北道をほぼ休みなく走りました。

金曜日の夜に出発して、土曜日の夕方に函館入り。

日曜日、先ずは夕張に行きました。天候は晴れ。

三菱石炭鉱業、南大夕張駅跡。
イメージ的に終点なのかと勘違いしてましたが、
よくよく調べてみると中間駅だったのですね。


ここの目玉はなんといっても”スハニ6”ですね。


塗装し直されて表記もきれいです。


その連結面。ホロがないせいか連結面間隔が広く感じます。


鉄道院基本形の三軸ボギー台車。
”スハニ6”は現役当時、事業用や皇室用を除いた、
一般営業車輛として最後の三軸ボギー車だったと記憶します。


この日はちょうど保存会の活動日だったようで、
荷物室の内部を見学させていただきました。
客室側はまだ作業中ですが、荷物室はきれいです。



2両のセキ。台車が両者で微妙に異なっており、
車軸が長軸と短軸、枕バネが2連と3連となっています。


雪掻き車”キ1”整備が「機関庫」になっているのが面白い。



実はこのモーターカーとバス、可動します。
ちょうど可動するところを見させていただきました。


小一時間程お邪魔して、次の地点に移動開始。
移動距離が長いので、移動時間をかなり取られます。


一気に道東まで移動して、夕方には茶内に着きました。


根室本線で現役の気動車。
この日は基本的に茶内に着いただけで終わりました。

翌月曜日、朝方茶内駅周辺を探索というほどもなく寸見。
簡易軌道の痕跡などあるはずもなく・・・というか、
反対方向を見ていたので、あるはずなし。(帰宅後判明)

遠目に見えたタカナシ乳業の工場は昔と変わらないようすでした。


そして次なる目的地に移動開始。
風連線の奥行臼停留所跡を目指します、が、道に迷った。


でも、なんとか着きました、風連線の停留所跡。天候は晴れ。


軌道事務所が現役当時のままで、中も比較的きれいでした。
横には車輛が3両、保存展示されています。


釧路製作所製の自走客車。これまた塗装がきれいです。


反対側から加藤とミルクゴンドラ。これでも車よりかなり大きい。
きれいに保存されていて、関係者の愛情を感じます。


道路の反対側は標津線の奥行臼駅跡です。


こちらもきれいに整備されております。
ここにも簡易軌道の線路があったはずだが、痕跡はなし。


どれが水平で垂直なのか分からなくなりますが、
駅本屋が垂直に建っているというのが正解のようです。


昼過ぎになりましたが、本州と違い食料調達が極めて困難。
元々、店自体がまばらにしかないのに加えて、
そもそも鉄道が廃線になるほど人家がないところなので、
人も車も飯を食わせるのが大変なのです。

時間的に中途半端なので夕方にかけて納沙布岬まで往復。
観光地なのでようやく美味しいイクラ丼にありつけました。
他にも資料館等を見学して、道央付近まで戻ってきました。


さて、翌日は火曜日となりますが、ここに落とし穴が。
月曜日は「海の日」だったので、小樽・三笠とも休館日。
(火曜休館と祝日の翌日休館でバッティング)
一思案しましたが、とりあえず三笠鉄道村に行くことに。


休館となっていましたが、こちらに来て正解でした。
多くの車輛を柵の外から遠目に見ることができました。
駐車場側にもナローの機関車やトロッコを見ることができます。


大夕張の”セキ”も同様ですが、何故か側面が凹んでいる。
横から叩いて石炭を落としたりしていたのでしょうか?
同じ場所が凹んでいるので不思議です。


廃線跡を利用した動く展示物があるようで、また来たい。


この日は一日小雨状態だったのでこれで切り上げて、
現役の鉄道駅等を眺めながら小樽に移動しました。
途中、前が見えない程の大雨に見舞われましたが。


翌日、水曜日は小樽となりますが、運河には目もくれず。

旧手宮線の廃線跡が美しい。

天候は霧雨から薄日がさす程度、最高気温は27〜28℃ですが、
うちの方ではこれ夜中の最低気温。北海道はやはり涼しい。

ここからは、ちょっとマニアックな写真を交えてお送りします。
入館し”しづか号”は通り越して”い1号”へ。客車好き。

妻面には基本的に窓はありませんが、便所側だけ窓があります。

そして、その床下を下方から撮影してみると・・・

(板で塞がれているものの)丸い穴が確認できます。
おそらく、ここに流し管のような物があっただろうと想像できます。
(だろうというのは、他の三隅の確認を忘れたためです)
或いは明治時代ゆえ、ここから直落としだったかもしれません。


この鎖のあるあたりで落としていたことになります。


分かり辛いですが、左隅が便所になります。


少し落着いて”しづか号”を。


テンダーのブレーキ装置を見たかったのですが、
疑問を解決できるようなものは見当たりませんでした。

ここからは屋外。

”大勝号”は残念ながら全体を撮影できる位置にいません。


”キ700”の尻。長軸の台車がおごられています。


さすが北海道、ラッセル、ロータリー、マックレー、ジョルダンと雪掻き車三昧。
”キ800”の屋根裏は白く塗られています。


”キ800”の車内。弁が少しあるほかは何もなし。


”キ600”の車内。前方側は操作弁・配管類が多くありますが、
この背面側に加減弁と逆転機ハンドルが壁から生えています。


今回の目玉その1、日銀所有の現金輸送車”マニ30”
現役当時は極めてアンタッチャブルな存在だったとか。
第一荷物室側はのっぺらぼうで窓ひとつありません。


第二荷物室内。現金輸送のようすを展示。


振り返ると職員の居室を眺めることができます。
特急電車やら寝台車やらの折衷型で快適に勤務できそうです。


鉄道職員用のスペース、車掌室はデッキに椅子がある程度。
ここからは確認できませんでしたが監視カメラもあるといいます。
現金輸送車に乗務する車掌さんも監視対象だったのですね。
もちろん車掌室から荷物室へは扉もないので行けません。


こちらは”スユニ50”の流し管の先端部。
郵政省職員の方のアレが流れていったということです。


で、その流し管の根元はどうなっているかを確認。


今回の目玉その2、救援車”スエ78”
70代は戦災復旧車、8は三軸ボギー車を表します。


今回の旅では三軸ボギー三昧で嬉しい。
血湧き肉躍る、三軸ボギー車です。


救援資材が雑然と置かれていますが、元はオハ77だったはずで、
これにベンチみたいな椅子があったりなかったりすれば、
そのまま旅客車時代と変わらない感じだったと思います。
戦災復旧車は網棚も木製で、暖房もなかったとききます。


救援車は人を乗せて走り回るものではないので、
窓の開閉は考慮されていないのかと思いますが、
それでも下段の窓枠には指が掛けられるように凹みがあります。
しかし、中央のこの窓だけはその凹みすらないので、
スユニ時代は便所だったこの窓は元々開閉できなかったのかも。


その床下は床板が完全に張り替えられていて何も痕跡なし。

お隣には”オエ61”が展示されています。外見は省略。
60代は鋼体化改造車、1は二軸ボギー車を表します。

その休憩室と思わしき車内。
側面の大扉を埋めた跡の内部が分かります。


車端部には流しがあります。


”キハ03”の車内。


戻って”しづか号”をもう1枚。
やはり”しづか号”は待遇が違いますね。


この後、木曜日に函館に戻って市電に乗って1往復。
そのまま青森に渡り、金曜日にかけて帰宅しました。
次はいつ行けるか分かりませんが、また訪問したいです。

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